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Vol.9製造部長 チーフ・ワインメーカー 安蔵 光弘

はじめにブドウありき、ブドウのもつポテンシャルを表現する。

“チーフ・ワインメーカー“とは、ブドウ造りから醸造はもちろんのこと、そしてブランド価値の伝達という、エンドユーザーにワインを届けるまでの一連のプロセスにかかわる、いわばワインにとっての育ての親のような存在である。栽培醸造責任者としてワイン造りを統括するチーフ・ワインメーカーという存在が、日々何を思い、どのような考えを巡らしながら、ワインと向き合っているのかーその静かなる情熱の軌跡を辿る。

製造部長 チーフ・ワインメーカー 安蔵 光弘

95年入社、勝沼ワイナリー(現シャトー・メルシャン)配属。その後、本社ワイン事業本部、フランス・ボルドー駐在、本社品質管理部長を経て、2015年4月より現職。大学で応用微生物学を専攻、テイスティングに興味を持ち、大学院の時に、週一度のワインスクールに一年間通ったのがワインの道へ進んだきっかけ。安蔵にとっての財産は、入社した年に浅井昭吾氏と出会えたこと。当時非常勤の顧問だった浅井氏は、山梨を訪れるたびに、安蔵が住む独身寮に泊まった。浅井氏との会話を通して、ワイン造りのフィロソフィーや歴史など多くを学んだ。

変わる、ワイン造り

最初にシャトー・メルシャンに配属されてから21年がたつ。シャトー・メルシャンのワイン造りは、この10年で大きく変わったと、安蔵はいう。「以前は、醸造の力でどうにかしようというところがありました。酵母の種類や発酵の工程を変えたり、新樽に貯蔵したり。ブドウの個性というより、醸造担当の手でワインのスタイルをつくっていく、そういうことが多かったように思います。樽に対する考え方も、樽の香りが付くと、外国のワインっぽくなったように錯覚していました。でも樽の影響は、ブドウの個性ではない。例えば、新樽はバニラやココナッツの香りが強いので、ブドウの個性は見えにくくなる。樽の香りに負けてしまうからです。この10年は樽を減らす方向で、ブドウがもつ個性を生かせる樽の使い方をするようにしています。まずブドウありき。ブドウが先にあって醸造が決まる。収穫されたブドウをみて、どういうワインにするか、そのイメージをみなで共有しながら、ブドウの個性を第一に考えたワイン造りをめざしています。」

転機

ワイン造りに転機が訪れたのは、安蔵が研修先のフランスから帰国し、仕込みの責任者となった2005年。それまで甲州ブドウに関しては、産地を山梨という大きな括りでとらえ、入ってきたブドウを大型のタンクで発酵させていた。だが、日本固有のブドウである“甲州”を使った“きいろ香”の仕込みを通して、より小さな容量のタンクで各地区のブドウに分けて仕込む中で、山梨県の地区ごとのテロワールの違いを明瞭に感じることができたのである。「当時は、山梨県内できいろ香に最も適した産地を探すために、地区ごとに分けて醸造する必要があったのです。きいろ香仕込みは、ステンレスタンクで発酵し、ステンレスタンクで貯蔵します。樽の香りがないだけに、ブドウがもつアロマと味わいが明瞭に感じられます。同じ条件で収穫し、同じ糖度・同じ酵母で仕込んでも、タンクごとに違いがある。甲府市玉諸地区の甲州は柑橘の香りが出て酸味が心地よい。少し標高の高い穂坂地区は、酸がしっかりしていて、ワインに骨格を与える。この仕込みを通して、こういった違いが明らかになりました。それで、甲州にもテロワールがあることに気づかされたのです。」

ワインにすると繊細な“フィネス”が感じられる、甲州ブドウ。育つ場所によって違いが際立つ。「ブドウの個性を出す仕込みをする過程で、穂坂や甲府、勝沼、山梨市など、地区ごとの違いがわかり、きいろ香や小樽仕込みのスタイルに合った産地があると感じました。日本人である私たち自身が、それまで日本のブドウにテロワールが表現できるか半信半疑だった。でも、ブドウは土地が違えば味が違うという当たり前のことに気づいたのです。エリアを小さく分けて仕込むほど、確実に違いが出ます。そこが面白い。大切なのはブドウをよく見ること。でなければ、ブドウの個性・良さを引き出すことはできません。」

テロワールの追求

こうしたワイン造りの流れから生まれたのが、プライベート・リザーブシリーズの「北信シャルドネ RDC千曲川右岸収穫・RGC千曲川左岸収穫」である。「北信」という地名は、長野県の北部地域を指す。シャトー・メルシャン北信シャルドネに使われるシャルドネは、千曲川の右岸地区の高山村、須坂市、左岸地区の旧豊野町と長野市にひろがる。千曲川を境に右岸と左岸で標高も土壌も異なる。「右岸は志賀高原からひろがる扇状地で岩石や砂利が多い。露天掘りをすると砂利が出てきて、それを砂利として売っているほどです。なだらかな西向きの斜面で水はけがよく、表土も少ない。一方、左岸は標高が低めで粘土質。平地と山地(やまじ)に分かれていますが、山地の畑は東向きの急斜面です。右岸・左岸でまったくテロワールが異なるのです。」

以前は右岸と左岸を合わせても収穫量がそれほどなかったことから、“北信シャルドネ”としてひと括りにしていた。右岸と左岸をブレンドすることで複雑な味わいになるという考えがあった。だが、右岸と左岸のシャルドネからできるワインに、それぞれの個性があることを、以前から感じていた。「右岸と左岸で味わいは確実に異なります。右岸は力強くて、開くのに時間がかかるワイン。瓶詰め直後は閉じていて、少し熟成すると開いてくる。一方、左岸は早い段階から華やかな香りがあり、心地よい果実味を感じることが多い。今回、ポートフォリオを見直すにあたり、これだけテロワールがはっきりしているのに、“北信”という広い地域の名前で括ってしまうのはどうか、との声が出たのです。それで、我々ワインメーカーだけでなく、お客様も違いを評価していただけるかどうかを確かめるために、今年の4月に、“シャトー・メルシャン・プリムール・テイスティング”を東京で開催した時に、右岸・左岸にわけてワインをお出ししました。その際に「どうして右岸・左岸で分けて出さないのか」という意見をたくさんいただきました。そうした声に押される形で、右岸・左岸に分けて商品化することに踏み切ったのです。」

樹の成熟がもたらす、変化

日本のテロワールに合った品種を探すという役割も担う椀子(マリコ)ヴィンヤードは、自社管理畑として20haの広大な土地にさまざまな品種を植えている。ここで安蔵は、あることに気づく。「2003~2004年に植えたシャルドネが2014年からガラッと変わったんです。収穫年の天候で比べれば、2013年の方が少し良い天候でしたが、2014年のシャルドネにこれまでにない凝縮感があり、瓶詰めの時からすごくいい出来だと感じました。」

2014年の椀子(マリコ)のシャルドネは、「マリコ・ヴィンヤード シャルドネ2014」として、フランス・ボルドーで開催された「第40回チャレンジ・インターナショナル・デュ・ヴァン」で金賞を受賞、同時に「辛口白ワイン(フランス以外)」の部門でトップの評価という特別賞も受賞した。安蔵の気づきは、現実の成果となって証明された。海外では50年、100年を経たブドウの樹もある。だが日本では、ワイナリーが垣根でブドウを植え出したのが、約30年前。垣根であればどんなに古い樹でも、これより若い年数である。「ブドウの樹は、若いうちは自らの樹体を充実させることにエネルギーを使います。人間も子供のうちは、体の成長にエネルギーを使う。それがある時期を過ぎると、子孫を残す方にエネルギーを使うようになり、果実が充実してくる。ブドウの樹が何年目から変化するのか、あまり考えたことはありませんでしたが、椀子(マリコ)の例を考えると、日本では10年前後が最初の節目のように思います。おそらく、20年前後でも節目があるのだと思います。収穫量は減るでしょうが、その分、果実がさらに充実してくるはずです。10年後の変化をみるのが楽しみです。」

「今後は椀子(マリコ)も、北信の右岸・左岸とともに、シャトー・メルシャンの白ワインのフラッグシップになっていくと思います。それくらいポテンシャルを感じます。」

“フィネス”とは、ブドウの個性

シャトー・メルシャンが掲げる「フィネス&エレガンス(調和のとれた上品な味わい)」というワイン造りのフィロソフィー。ここでいう“フィネス”を育むのは土地、テロワールである。「ワインにおける“フィネス”とは、ブドウの個性ということになりますが、日本の風土、テロワールが培ったものには、そもそも“フィネス”がある。例えば日本料理。料理人が意識して“フィネス”を出そうとしなくても、日本人ならでは、の造り方をすることで、必然的に“フィネス”が感じられる料理になります。それはワインでも同じ。基本は、土地が育んだブドウの個性を大切にすること。日本のテロワールでブドウを造るからこそ、そのブドウの個性を活かせば、土地の個性、“フィネス”が自然と醸し出されるのです。“フィネス”とは意識して出せるものではないのです。」

ブドウは農産物。当然、毎年同じ品質のものが収穫されるわけではない。天候に恵まれ濃厚な年もあれば、軽やかな味わいの年もある。「ワインの価値から見れば、毎年同じような味わいであるよりも、土地の個性が感じられる範囲で、各収穫の違いがあることが大事です。よい年と難しい年があっても、各収穫年の個性をワインに表現することが、我々ワインメーカーにとっては楽しみであり喜びでもあるのです。」

理想のワインを目指して

安蔵には、理想とするワインがある。「高級なワインとデイリーなワイン、それぞれに理想があります。高級なワインでは、飲んだ人がびっくりするようなものを造りたい。日本のテロワールがしっかり表現されていて、その完成度において、飲んだ人がすごいと思える、そんなワインです。一方、フランスに4年駐在して感じたのは、デイリー・ワインの存在の大きさです。海外の国では日々の食卓に、濃厚ではないけれど、安価で美味しいワインがある。これがすごいと思うんですね。毎日の食事では、料理が主役。家族との食事とともに自然とグラスを口に運んで、気がつくとボトルが空になっている、そんな完成度の高いデイリー・ワインも造っていきたいですね。」

それぞれのワインメーカーは、ワイン造りに対する確たるフィロソフィーを抱えている。それは長年、土地やブドウと向き合い、ワインと真摯に会話する営みの積み重ねから培われていくものである。ワインメーカー自身の個性・フィネスを育むのもまた、彼らがワインと対峙する土地、テロワールなのである。

ワインメーカーとワイン。造り手のフィロソフィーが深く豊かなものであれば、その手から生み出されるワインもまた、深みのある味わいを醸し出すに違いない。

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