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Vol.3メルシャン勝沼ワイナリー(現シャトー・メルシャン)元工場長 上野 昇/シャトー・メルシャン 小林 弘憲

2人のプロフェッショナルが語る、『甲州きいろ香』誕生の物語。

造り手たちが語る、『シャトー・メルシャン』の物語。今回登場するのは、柑橘系の香りとフレッシュな味わいが人気の『甲州きいろ香』の誕生に深く関わった、メルシャン勝沼ワイナリー(現シャトー・メルシャン)元工場長の上野昇と、シャトー・メルシャンの小林弘憲。2人の対談から、『甲州きいろ香』が生まれるまでのさまざまなプロジェクトや、そこに懸けられた想いをご紹介します。

上野 昇メルシャン勝沼ワイナリー(現シャトー・メルシャン) 元工場長

1975年入社。栽培技術者として、メルシャン勝沼ワイナリー(現シャトー・メルシャン)に配属。栽培・醸造指導に携わり、製造課長を経て、1992年に工場長に就任。山梨県ワイン酒造組合会長やワイン資料館長等を歴任し、2012年には県政功績者表彰。現在はシャトー・メルシャンのビジターセンターで、訪れる人にワインの魅力を幅広く伝えている。

小林 弘憲シャトー・メルシャン

1999年入社。研究者として、長年多角的な方面からワイン造りを学んできたワインメーカー。ブドウ栽培から醸造・育成に至る全ての工程においてワインの品質向上を追求する真摯な姿勢はシャトー・メルシャンのワイン造りにいかされている。2011年から仕込み統括を務め、その効果がワインに現れはじめている。

それぞれのワインへのまなざし

『甲州きいろ香』プロジェクトのキーパーソンである、上野と小林。「栽培」と「醸造」、それぞれの異なる出発点は、このワインの誕生に大きなヒントを与えている。

  • 上野

    私がワインの世界に入ったのは、今から40年くらい前です。もともと大学では園芸を専攻していて、ブドウを材料に年間での成分変化を研究していました。だから入り口は醸造ではなくて栽培。メルシャンに就職したのも、ブドウに関わる仕事がしたかったからなんです。

  • 小林

    僕は、大学が醸造科だったんですよ。まわりにワイナリーに就職した友人が多かったので、僕もその流れでメルシャンへ。だから正直な話、「大のワイン好きで」とかではなかったんです。お酒にまつわる仕事がしたいとは思っていましたが、それがビールなのかウイスキーなのかワインなのかは決まっていなかった。はじめは「ワインも面白そうだな」ぐらいの気持ちだったんです。

  • 上野

    私も、当初はここまでの思い入れはなかったですよ。でも、40年も携わっていると、ワイン造りは「自分の人生そのもの」という気がしてくる。完成したワインを飲んだ方の「おいしい!」というひと言を聞くと、「来年もいいものをつくろう」という気持ちが湧いてきます。

  • 小林

    わかります!その年と同じワインは二度とできないのが、本当に面白い。ヴィンテージも気候条件も毎年必ず変わるから。ワイン造りは、僕みたいにルーティンワークが苦手な人間でも、常にフレッシュでいられる仕事なんです。

甲州ブドウをもう一度輝かせるために

上野と小林が出会った頃、『甲州きいろ香』の原料となった甲州ブドウをもう一度盛り上げるための「甲州ワインプロジェクト」が、メルシャンと地元農家の間で立ち上がっていた。

  • 小林

    『甲州きいろ香』誕生のきっかけは、「甲州ワインプロジェクト」ですよね。

  • 上野

    そうです。90年代の後半、甲州ワインの原料である甲州ブドウの生産量は、最盛期の半分ほどに落ち込んでいました。原因は、巨峰、ピオーネ、甲斐路等のブドウが登場してきてテーブルブドウとして人気が下がったこと。それから、安価な輸入ボトルワインの攻勢で甲州ワインの売れ行きが落ちて、ワイン用ブドウとして甲州ブドウをあまり多く買えなくなったことでした。

  • 小林

    当時は、日本ワイン全体が低迷していましたよね。

  • 上野

    「このままでは、甲州ブドウが姿を消してしまうかも知れない」。それくらいの危機感がありました。ブドウ農家の方も同じ気持ちだったと思います。そこで甲州ワインを造るワイナリーとしての存在価値を懸けて、「甲州ワインプロジェクト」を立ち上げたんです。「勝沼が育んできた甲州ブドウの文化を守りたい」という気持ちも強かったですね。

  • 小林

    その頃、僕は若手研究員で、上野さんは工場長。普通なら、なかなか直接お話する機会がないけど、勝沼の畑を使わせていただくようになってから親しくなって。

  • 上野

    会ってみて「ワインを知りたい」という気持ちがすごく伝わってきたんです。研究員としての仕事ぶりにも注目していました。

  • 小林

    当時は栽培課の勝野くんと一緒になって、畑と研究所を行き来しながら、栽培と醸造を組み合わせてあれこれ試していたんです。新しくて面白いことをするのが大好きなので。そんな流れで「甲州ワインプロジェクト」にも、途中から加えていただいて。そのときはまだ、ブドウ自体というより発酵や醸造などの技術的な観点からアイデアを考えていました。皮から種まで全部使ってワインをつくったらどうかという話をしたり。

  • 上野

    そうですね。「果皮の味わいを取り入れたワイン」というアイデアはわりとすぐにまとまって、1〜2年で商品化にこぎつけることができました。問題は、香り。味がよくなっても、香りをどうしたらいいのかは全く見えてこなくて、正直なところ途方にくれかけていました。

  • 小林

    それで「甲州アロマプロジェクト」をはじめたんですよね。香りをよくするためにまず考えたのが、香りを抑えると言われる銅などの重金属を含むボルドー液(ブドウの防除剤)を使わないこと。でもそれだけではまだ足りない。みんなで知恵を絞る中で出たのが「熟度を増すためにブドウの下半分を思い切って落として、上側だけを熟させたらどうだろう?」というアイデア。

  • 上野

    ブドウの香りのもとになるのは栄養素だから「まずは熟度を上げて栄養をたっぷり持った部分をつくろう」と。いい香りをつくるにも、醸造だけでは限界がある。栽培からのアプローチも採り入れようということになったわけですね。

切実な想いが呼び込んだ偶然の発見

ボルドー液を使わず、ブドウの上側だけの熟度を上げる。この挑戦が、『甲州きいろ香』の大きな特徴となる香りを生む「偶然の発見」を呼び起こす。

  • 小林

    とはいえ、切り落とした下の部分をただ捨ててしまうのはもったいない。そこで、その部分のブドウを使って、味わいに変化が出るような酵母を探す実験を勝野君と行っていたんです。ブドウを搾った果汁を小分けにして、さまざまな種類の酵母を入れて。そのとき、たくさんある発酵試験の中で、1つだけ他とは明らかに異なる香りのものがあったんです。当時は「柑橘」という表現もよく知らず、ただただ「なんだこれは!?」と。甲州ブドウから感じたことがないような香りで、大興奮でした。

  • 上野

    そのときのことは今でもよく覚えているよ。私のところにも「偶然すごい香りが出た!」って、電話がかかってきたからね。それでみんなで集まって、満場一致で「これは可能性があるぞ」と。

  • 小林

    強いて言えば、ソーヴィニヨン・ブランに近い香りでしたね。でも当時の日本にはまだ、微量なワインの香りを分析できる機関がない。そこで、当時ワイン事業本部国産事業部部長だった藤野さん、製造課長だった味村さんと親交があり、ボルドー大学でソーヴィニヨン・ブランを中心にワインの香り研究をしている富永博士に送ってみようということになったんです。その結果、「これは研究に値する香りだ」と言っていただき、僕自身もフランス行かせていただいて、成分分析に取り組むことになりました。

  • 上野

    香りのメカニズムがわからないと、工場としても商品化しようがないからね。甲州ワインの未来が、小林くんと博士の分析に懸かっていたんです。

博士との出会いとワイン造りへの挑戦

ワインの香り研究に打ち込む富永博士との出会い、そして想いを共有する農家の方々の協力が、この新しい甲州ワインを一歩ずつ完成へと近づけていく。

  • 小林

    「来年には商品化するから」と言われて日本を出発したので、正直な話、かなりのプレッシャーでした。富永先生は、異国の地で苦労と努力を重ねられた深い哲学のある方で、「ワインはサイエンスとポエムの融合」というのが座右の銘。厳しかったけど、一生懸命やる人に対してはものすごく熱く指導をしてくれました。今の仕事の仕方や考え方を教えてくれた、まさに師匠と呼べる存在です。だから僕も、昼夜を問わずボルドー大学に通い詰めて、研究を重ねました。それでようやく、ソーヴィニヨン・ブランにも含まれる香りの成分を見つけることができたんです。

  • 上野

    それが見つかったのが2003年。日本ワインにとって、本当に画期的な発見でしたね。この発見をかたちにするために、ボルドー液を撒かずに甲州ブドウを栽培してくれる協力農家を探しはじめました。

  • 小林

    ずっと「甲州ブドウには何もない」と言われ続けてきたから、「何としてでも新しい個性を持った甲州ワインを商品化したい!」という強い気持ちがありました。無事に成分が見つかったときはホッとしましたね。

  • 上野

    農家の方々も「メルシャンがそういうことをやるなら協力しよう」と言ってくださって。勝沼のみならず甲府の方も名乗りを上げてくれた。

  • 小林

    ボルドー液は万能とも言える安価な防除剤だし、他の防除剤を使おうと思えばコストも上がる。農家の方にとってはかなりハイリスクな話だったと思います。

  • 上野

    それでも、協力してくださったのは、農家の方の中にも「甲州ブドウが終わってしまう」という危機感があったから。このままでは生食用のブドウも売れないし、醸造用のブドウも売上が落ちている。だから「新しい甲州ワインを造ろう」という呼びかけに、たくさんの方が応えてくれたんでしょう。

「素晴らしい」日本ワインを世界へ

小林と勝野が発見した香り。それが決め手となり『甲州きいろ香』の商品化が実現。上野と小林、たくさんの関係者と農家の想いが、日本ワインに新しい1ページをもたらした。

  • 小林

    フランスで過ごしたのは実質2ヵ月間ほどでしたが、自分の人生を変える経験でした。全てはあの香りのおかげですね。帰国時には、甲州ブドウの香りの組成や、商品化のキーになるデータを持ち帰ることができました。

  • 上野

    そこから、酵母や気候条件の検討や、酸化対策など、具体的な商品化に向けた試行錯誤がはじまった。ワイナリーの中には「これで甲州ブドウが変わるぞ」という盛り上がりがあったね。

  • 小林

    いざ商品名を決めるときは、富永先生にも相談をさせていただきました。富永先生の著作に『きいろの香り〜ボルドーワインの研究生活と小鳥たち〜』という本があって、それを研究開発の一番はじめにみんなで読んでいたんです。「きいろ」というのは、先生の研究生活に寄り添っていた愛鳥のことですね。そこから名前をいただきました。

  • 上野

    そして2004年ヴィンテージの発売時には、あっという間に完売。当時はまだ「日本のワインはダメだ」という風潮があったから、プロジェクトを含めて注目度がすごかった。国内外のメディアから取材がきて、アメリカのニュースでも「日本オリジナルのワインが、非常によくなっている」と好意的に取り上げられてね。

  • 小林

    嬉しかったですね!『甲州きいろ香』の登場で、日本ワインのイメージは確実に変わったと思います。富永博士に言われたことで今でも心に刻んでいるのは「まず、欠点のないワイン造りをしなさい」という言葉です。その上で個性を競い合いなさい、と。『甲州きいろ香』は、本当の意味でそれができたワインです。それをきっかけに、みんなが同じ想いでワイン造りに取り組みはじめたから、日本ワイン全体がものすごくよくなった。甲州ワインだけでなく、日本ワイン、特に白ワインの底上げにも貢献できたと感じています。

  • 上野

    そうだね。『甲州きいろ香』は、甲州ワインの最高峰を目指し、味と香りに甲州の魅力を表現したワイン。山梨の風景と、きいろ香誕生のストーリーを思い浮かべながら楽しんでいただけたら嬉しいです。

  • 小林

    やっぱり楽しく飲んでいただくのが一番。「日本ワイン、素晴らしいね」と、味わっていただけたら最高ですね!
    これからもさらに美味しさを追求していきます。

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